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紫式部ゆかりの地宇治市 越前市 大津市 観光ポータルサイト
紫式部のことば
年かへりて、「唐人見に行かむ」と言ひたりける人の、「春は解くるものといかで知らせ奉らむ」と言ひたるに春なれど 白嶺の深雪 いや積もり解くべきほどの いつとなきかな
紫式部が自撰した紫式部集には、越前滞在中に見慣れたであろう「越の白山」についての歌がいくつか登場します。都では考えもつかないほどの越前の大雪を、当時、紫式部へ言い寄っていた宣孝との恋の駆け引きの見事な舞台演出として昇華させています。出典:紫式部集
暦に、初雪降ると書きつけたる日、目に近き日野岳といふ山の雪、いと深く見やらるればここにかく 日野の杉むら 埋む雪小塩の松に 今日やまがへる
一条天皇の長徳2(996)年、越前国の国司に任じられた父藤原為時に伴われて越前国の国府(現在の越前市)にやってきた紫式部が詠んだ歌として有名なものです。日野岳は地元で越前富士と称される標高795メ-トルの日野山を指し、都に住んでいた紫式部が初めて雪国の山の姿を見て、都を懐かしみ真っ先に思い出したのが小塩山でありました。出典:紫式部集
みづうみにて、伊吹(いぶき)の山の雪いと白く見ゆるを名に高き越(こし)の白山ゆきなれて伊吹の嶽をなにとこそ見ね
紫式部が自撰した紫式部集には、越前の景色がいくつか登場します。紫式部は、越前の周囲の自然に包まれながら、真っ白に神々しくそびえる白山の雪の白さを見て、最高の景色を実感したことにより、自分の中で、物事を判断する一つの物差しを獲得することができたと考えられます。出典:紫式部集
橋姫の心をくみて高瀬さす棹のしづくに袖ぞ濡れるる
源氏物語最後の十巻は、主な舞台を宇治とすることから『宇治十帖』と呼ばれており、「橋姫」から宇治十帖がはじまります。自分の出生への不安から厭世的な薫は、光源氏の異母弟である八の宮の人柄に惹かれ宇治に通ううち、宮の娘である美しい二人の姫君(大君と中君の姉妹)の姿を垣間見ます。八の宮の屋敷は宇治市にある宇治上神社・宇治神社のあたりといわれています。出典:源氏物語
橘の小島の色はかはらじをこのうき舟ぞゆくへ知られぬ
源氏物語五十四帖の巻名の一つ「浮舟」の中で、薫の庇護を受けていた女が匂宮に連れ出されて宇治川対岸の隠れ家へ向かう途中に詠んだ和歌です。宇治市にある三室戸寺の境内には「浮舟の古跡」があります。出典:源氏物語
法の師とたづぬる道をしるべにて思はぬ山に踏み惑ふかな
源氏物語五十四帖の巻名の最後の巻、「夢浮橋」の中での和歌です。薫は横川僧都を訪ね、浮舟が生きており、出家したことを確認します。浮舟の弟である小君に文を託しても、かたくなに人違いと薫を拒む浮舟に、誰かが恋人として隠しているのかと思う薫でした。夢浮橋は現実には存在しない橋ですが、紫式部像ととも石碑が建てられています。出典:源氏物語
月のいとはなやかにさし出でたるに、今宵は十五夜なりけりと思し出でて、殿上の御遊び恋しく、所々眺め給ふらむかしと思ひやり給ふにつけても、月の顔のみまもられ給ふ。
源氏物語『須磨』の一文です。紫式部は、中宮の新しい物語を読みたいという要望を受け、石山寺に7日間の参籠をしていました。その時、中秋の満月の日、びわ湖に映った月をみて、「今宵は十五夜なりけり」と書き出したのが源氏物語の始まりだったといいます。出典:源氏物語
めぐり逢ひて見しやそれともわかぬ間に雲隠れにし夜半の月かな
小倉百人一首にも収録されている紫式部の和歌です。大津市の近江神宮は、百人一首かるた第一首を詠んだ天智天皇が祀られていることから「かるたの聖地」と言われています。また、蝉丸の百人一首には「逢坂の関」という和歌が登場します。「逢坂の関」は大津市に位置しており、ここを舞台として紫式部は源氏物語の「関屋」の帖で、空蝉と光源氏の再会の場面を描いています。出典:小倉百人一首
今日の御関迎へは、え思ひ捨てたまはじ‥‥ - 源氏
源氏物語第十六帖 「関屋」は、空蝉と光源氏の再会の場面を描いています。"御関" は『逢坂の関」を指し、山城国と近江国の国境となっていた関所で、文化的、歴史的に有名な関所として広く知られており、現在の大津市に位置します。平安時代から蝉丸法師や清少納言など多くの歌人がこの関を歌った歌枕の地としても大変有名です。出典:源氏物語